CR7クリスティアーノ・ロナウドとは

クリスティアーノ・ロナウド・ドス・サントス・アヴェイロ OIHCristiano Ronaldo dos Santos Aveiro、1985年2月5日- )は、ポルトガル・フンシャル出身のサッカー選手。リーガ・エスパニョーラ・レアル・マドリード所属。ポルトガル代表。ポジションはフォワード。CR7と略して表記されることもある

CR7クリスチアーノロナウド1985年2月5日、ロナウドは大西洋に浮かぶポルトガルのマデイラ島最大の街フンシャル(マデイラ自治領の首都)に自治体の庭師ジョゼ・ディニス・アヴェイロと調理師マリア・ドロレス・ドス・サントス・アヴェイロの間、三男二女の末子として出生。複合名の第二要素の「ロナウド」は、父ディニスのお気に入りの俳優であったロナルド・レーガン元アメリカ合衆国大統領にちなむ[6]

ロナウドの曾祖母(父方の祖母)ローザ・イザベル・ダ・ピエダデはカーボ・ヴェルデ出身のムラートで白人のジョゼ・アベイロ(父方の祖父)と結婚し息子のウンベルトがフィロメーナ(ロナウドの父方の祖母)と結婚し6人の子をもうけ、その中の一人がロナウドの父ディニスだった。ロナウドは8分の1カーボ・ヴェルデ人という事になる。

父ディニスは公務員として働くかたわら、地元のCFアンドリーニャというサッカークラブの管理を手伝っており、また従兄弟のヌーノもアンドリーニャでプレーしていたことから、ロナウドはこのクラブで6歳のときにサッカーを始める。サッカーを始めた当初はセンターバックであったが、徐々にポジションを上げFWとしてプレーするようになった。幼い頃から才能に恵まれていたが、チームが負けると悔しさから泣いたりし、「泣き虫」のあだ名を付けられていた。

4年後の1995年にアンドリーニャに在籍していた人物が運営するCDナシオナルに入団。1997年の復活祭の休みを利用し、祖父に連れられてスポルティングCPのトライアルを受けた。好きなチームはスポルティングのライバルであるSLベンフィカであったが、スポルティングのファンであった母親に説得されてユースに入団し[13]、母親と共にリスボンへ移住(移住直後はマデイラ訛りをクラスメイトにからかわれ、怒ったロナウドが椅子を投げ付けて殴りかかったというエピソ-ドもある)。スポルティングのユース入団に際し、スポルティングはナシオナルに対して2万5千ユーロの移籍金を支払った。

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